まずい。キルシュは自分の手のひらから芽吹いた蔓を見ると、たちまち焦燥した。
「……」
─────まただ、いけない。自分を落ちつかせるよう、深く息を吸い、ゆったりと吐き出す。
すると、蔓と花は瞬く間に光の欠片となって、キラキラと空気中を漂い消失した。これがキルシュの『能有り』としての固有の力、植物の具象だ。
芽吹き花を咲かせるだけ……と、基本は無害で美しい。
意識的に出す事は勿論できるが、こうして感情が昂ぶってしまうと、このように現れて、自身を守ろうとする。 今回はただの蔦と花で済んだが、場合によっては棘を持った巨大な茨の蔦となる事もある。 なので、確実に無害とは言い切れない事は確かだった。 その上、現在では差別を受ける程に忌まれた力なので、本来ならばみだりに使うべきでないとキルシュもよく理解していた。 この具象の力は感情に左右されるものだ。 ましてやキルシュは多情多感な十七歳。感情はどうしても表に出やすい。キルシュ本人も、この力を上手に制御できない事を少なからず悩んでいた。どんなに頑張って制御しようにも強い感情を抱けば、どうしても現れてしまうのだ。
「学院長。驚かせてごめんなさい」
一拍置いて、消え入りそうな声で詫びると、学院長は忌まわしいものでも見たとでもいったような冷ややかな視線でキルシュを見て深い息をつく。 明らかな蔑みの視線だった。学院長は皺の寄った眉間を揉んで首を振る。 「君は一カ月の謹慎処分を。家にはもう連絡は済ませてあるから一度レルヒェ地方へと帰りなさい」 静かに学院長は言う。 感情で具象を出す程、だったので少しスッキリしたのだろう。あれ程までに怒りが満 ちていたのに、熱は一気に冷めた気さえもした。「分かりました」
キルシュは素直に返事して、膝を折り、びっしょり濡れたスカートの裾を摘まんで挨拶すると、学院長室を後にした。
時刻はちょうど一限を終えた頃だった。
休憩時間で談笑の漏れる教室幾つも横切り、階段を下りて校舎から出た時だった。 頭上から『いいザマだわ!』なんて嘲笑が幾つも降り落ちてくる。視線を向ければ案の定、三階の窓からブリギッタとその取り巻きが見下ろしていた。
「あら~徒花ぁ~! どぉこいくのぉ~!」
「学院長の目玉食らったのかしら? もうレルヒェ地方から出てこなくていいわよ!」 「ブリギッタ様の足なんか引っかけるからよ! 身の程を弁えなさいよ!」「気をつけて帰ってね~」なんて嫌みったらしく別れの挨拶をされるのが、これがまた憎たらしい。
主犯のブリギッタときたら、ハンカチーフをヒラヒラと振って見送っている。 所作こそ品があれど、プフーなんて頬を膨らませて笑むその表情は本当に憎たらしいとしか言い様もない。 西方メーヴェ地方の侯爵令嬢、ブリギッタ。 透明感溢れるブルーベージュの髪にセレスタイトでも連想させる淡い青の瞳。 冷ややかなで儚い美しさを持つ美少女……とは、入学当初から思っている。が、ご覧の通り、性格は最悪である。 (もう、どうせ自宅謹慎だもの……) キルシュは心の中で独りごちて、ため息をつく。 その一拍後──キルシュは瞬く間に手のひらから蔦を芽吹かせてブリギッタのハンカチーフを奪い取った。 「きゃああ!」途端に劈く、ブリギッタの悲鳴に何だ何だと、他のクラスの生徒まで顔を出した。
しかし、キルシュはそんな事を気にせず、蔦を巧みに操り、ハンカチーフをクシャクシャに丸めて結び、思う存分蹂躙した後……。「飛んでけぇええ!」
叫ぶなり、ハンカチーフを遠くへとポーンと投げ飛ばす。
「何するのよぉ! 徒花、あんたそのハンカチいくらしたと思ってるのよ!」 「知るわけないでしょ! そんなに大事なら拾えばいいじゃない、この性格ブス!」上階に向けてキンキンと甲高い罵声を一言。
だけど、ここまでやれてしまうと最高にスカッとした。ざまぁみろ。その一言に尽きる。キルシュは蔦の具象を解き光に還すと、寮の方へとスタスタと歩んで行った。***
キルシュのこれまでの処分は合計五回。
反省文が二回。そして、寮の中で三日ほどの休みを貰って自主勉強が一回。 地方に帰れというような謹慎についてはこれで二回目だ。 帰り支度は、ほんの少しは慣れていた。だが、こうなった以上は当然のように義兄から酷い叱責を受けるに違いない。容易く想像できる近い未来に、キルシュは身支度をしながら暗いため息をつく。
(気が重たいな……) 心の中でぽつりと独りごちて。キルシュは唇を拉げる。……義兄ことイグナーツは現在、齢二十五歳にして伯爵領ヴィーゼを取り纏める若領主だ。このヴィーゼ領のあるレルヒェ地方というのは自然豊かな片田舎の辺境地。なので、ヴィーゼ辺境伯とも呼ばれている。
キルシュがこの女学院に通い始めた年に義父は他界した。
それっきり、義兄は領主としての執務を見事にこなしていた。 理数学の学識もあり聡明で経歴も秀才そのもの。帝国でも名の知れた難関学院の首席卒業している程に優秀な頭脳を持ち、ツァール軍の戦闘教育さえも受けていたそう。 言葉にするのであれば、〝非の打ち所の無い程の完璧な鬼才〟と言っても過言ではない。しかし本当に兄ではない。義理のきょうだいだ。キルシュがヴィーゼ伯爵家に来たのは、十歳の頃だったらしい。
こうもあやふやなのは、キルシュ自身が〝それまでどこにいたのか〟何ひとつ覚えていない。謂わば、記憶喪失らしい。聞いた話によると、キルシュは火災に見舞われた教会から伯爵家に引き取られたそう。その教会はヴィーゼ領の外れにあったそう。
教会から……つまりは身の上は孤児だったのだと結び付く。 その火災の生き残りはキルシュ以外誰もおらず、たった一人で助かったらしい。医者曰く、その火事による精神的なショックによって、十歳より昔の記憶全てを消失したのだろうとの診断だった。
そんな立場のキルシュを不憫に思ったのだろう。ヴィーゼ伯爵家は自らキルシュを引き取る旨を申し出たそうだ。 そう。キルシュは、幼少期の記憶が何ひとつ残っておらず、屋敷に来てからの七年間の記憶しか無いのだ。『不安がる事は無い、大丈夫だ』と、亡き義父も言ってくれた。
それは義兄イグナーツも同様だった。だが、それはある日を境に激変した。 ──五年も昔、キルシュが屋敷に来て二年目のイグナーツの誕生日だった。 花を摘んで、それを義兄にプレゼントしようだなんて思ったものだが、生憎その日は大雨だった。そこで、閃いたのは『具象の花』のプレゼントだった。 みだりに使ってはいけない力と言われてきたが、義兄を喜ばせたい一心でキルシュは一生懸命に薔薇の花束を拵えた。そうして彼女は義兄の部屋に行ったものの、彼は不在だった。
掃除をしていた使用人を掴まえて、訊いてみれば何やら婚約者と離れの建屋にいるとの事。 「恐らく式の日取りを決めてるのでしょうね」なんてにこやかな言葉が返って来た。その時初めてキルシュは、義兄に婚約者がいる事を知った。
誕生日に婚約! こんなにも喜ばしい事は無いと益々キルシュはプレゼント作戦を張り切った。しかし、夕刻ようやく会えたイグナーツは、とても幸せそうには見えなかった。当時キルシュは十二歳。子ども故に、空気など読めなかった。
驚かせよう、喜ばせよう。ただその一心で、キルシュは彼の目の前で花を芽吹かせて贈ったのである。 ……縁談は破綻していた。そんな事も知らずに。それが災いしたのだろう。苛立ったイグナーツは激昂し、キルシュを罵り頬を撲った。
──忌々しい、そんな力は俺の前で二度と使うな! この愚妹が! 目障りだ。 冷たい叱責の言葉が注がれた。 それ以降、イグナーツはキルシュに対して優しい表情を見せる事はほとんど無くなり、表情は乏しいものに変わり果てた。 そこからきょうだいの間の溝は深まるばかり。キルシュは兄に対して拭えぬ畏怖を抱くようになっていた。 いくら自分に非が無いと分かる状況下であったとしても、義兄は守ってくれた事は無い。寄り添ってくれた事も無い。キルシュの事を認めてくれる事も無かった。 ──恥さらし。何度も言われた、その言葉は、耳に鮮明に焼き付いている。 クラスメイトに嫌がらせをされようが、蔑むように徒花と呼ばれようが、どんなに辛辣な言葉を言われたって、大して傷付かない。けれど、唯一の拠り所……家族となれば、開き直る事も噛みつく事もできないし、話は違かった。自分には家族しかいないのだ。記憶も無くして、孤児だった自分を引き取ってくれて、まともな教育を受けさせてくれた家族……今は義兄のイグナーツしか拠り所が無いのだ。たとえ、もうまともに話せないとしても。
そんな事をまじまじと考えていれば、キルシュの表情は陰る一方だった。
ほぅ。と、暗いため息をひとつ。キルシュは自分の心を切り替えるように頬を両手で軽く叩く。(今更ウジウジしたって仕方ない、帰ろう……)
ご丁寧に学院が屋敷に連絡してしまったので、帰らなければ大問題になる。
「あ~もう仕方ない! 帰ろ帰ろ!」
自らを鼓舞するように言って。キルシュは鏡の前で腕を組み、強気な笑みを無理矢理作った。
帝都から、南部レルヒェ地方までの距離はなかなか遠いもので、汽車でおおよそ半日の旅となる。そこから更に数十分馬車に乗り継ぎ、ヴィーゼ伯爵家に。 現在は昼過ぎ。帰る頃にはもう暗くなっているだろう。なかなかの長旅だ。 ファルカ駅から汽車に乗り込んだキルシュは車窓から移り変わる景色をぼんやりとと眺めていた。 日中の列車となれば当然乗客が多い。四人掛けの対面座席のシートは全て埋まっていた。 都会の人間はそんなに他人をジロジロと見ないだろう。 そうと分かるが、乗客も多いからこそキルシュは能有りの紋様を隠す為に上品なレースのあしらわれた薄手の手套をはめた。 謹慎処分中の宿題も学院から出されたが、今はまだ手を付ける気になれやしない。 ぼんやりと窓の外を眺めて、このまま時間なんて止まってしまえば良いのに……なんて、非現実的な空想ばかり浮かべていた。 けれど、いつまでも続く錆色の街を眺めていても気が滅入るばかりだ。 帝都中心地に聳え立つ、大聖堂の左右対称の円錐屋根が小さくなり始めた頃、キルシュはようやく外の景色を見るのを止めた。 ほぅ。と、一つ息を吐き出して、気持ちを切り替える。そうして、キルシュは鞄から一冊の本を取り出した。 それは、ツァール帝国建国時程に書かれた神話や民話などを寄せ集めた古書で、古本市で購入した大のお気に入りの一冊だった。 しかし、この書物は旧語で綴られているので、とてつもなく読みにくい。それでも、全く読めない訳でもなかった。 否……キルシュだからこそ読めるのだ。 彼女は確かにパトリオーヌ女学院の成績最下位、劣等生だ。 だが、それは重要科目の理数学においての事。 古典文学・語学・史学といった大して成績に加点されない、部類の学識に対しては、学院で右を出る者はいないと程にこの才だけは長けていた。 大陸にある周辺国とツァールに程近い離島国。合計五~六カ国語なら問題無く読み書きができる。キルシュとしてもほんの少しだけ誇れる特技だった。 近隣国の言語においては、
大聖堂に響き渡る鐘の音は、まるで終りの時を知らせるように寂しい音を響かせていた。 誰も居ない筈の場所で、いったい誰が鳴らしているかは分からない。 それはまるで、計り知れぬ悲壮に慟哭しているかのように聞こえてしまった。 眼下に望む見慣れた錆色の町並みは、まさに終末と呼んで良い程……。 横殴りの雪が降りしきる中で赤々とした炎の群れが至るところで上がり、崩れた落ちた建物から黒煙が上がっていた。 そんな終末の大聖堂──頂点へと続く途方もなく長い石造りの階段を茜髪の少女はひたすらに駆け上っていた。その合間も砲弾が撃ち込まれる鈍い音と、尋常ではない振動が襲い来る。 来た道を振り向けば、石造りの階段はバラバラと崩れ落ち、ぽっかりとした虚ろができていた。 もう引き返せない。そう思いつつも、彼女は前を向き再び階段を駆け上る。 窓の外に見える、屋根の上に佇むものは教会の雨樋〝ガーゴイル〟を彷彿させる姿の怪鳥だった。 しかしそれは、鉄錆びた色合いの機械仕掛け。極めて人工的な姿をしていた。 ……彼女自身も認めたくない事実ではあるが、これが彼女の愛した青年の成れの果てだった。 ──ケルン。 少女は身を焦がす程に恋した青年の名を呟き、溢れ落ちた涙を拭って再び階段を駆け上る。 実を結ぶ花の名を持つ癖に、何をしても結果を出せず、努力さえ実を結ばず恩さえ仇で返す。よって〝徒花〟と、不名誉にも呼ばれた日々の事。彼と過ごした半年ばかりの短くも幸せ過ぎた日々の事。そして、忘却の彼方にあった断片的な記憶の数々。 茜髪の少女、キルシュ・ヴィーゼは一つ一つを思い返した。
帝都ファルカを色にするのであれば、赤銅あるいは鈍色だろう。豊かな自然を彷彿させる緑色が極端に少なく、人造的な色が多い。 煉瓦造りの背の高い建物がゴチャゴチャとひしめき合い、都市西側には轟音と粉塵を上げて蒸気機関車が走っている事から、どこか窮屈な印象を感じてしまうものだった。 製錬や機械化学と工業技術が発展した経済的水準も高い先進国、ツァール帝国。 その中心地なのだから、この景色はさも当たり前の事には違いないだろう。 ──空気は悪く、人が多い。労働者を寄せ集めたファルカの朝早い。 早朝五時に市街中心部に高々と聳える古びた大聖堂の鐘の音が響き渡り、皆その音で一日を始める機械的な街だった。 そして今現在……ファルカの朝が始まって数時間。 とっくに空は青に色付いて、太陽も昇ったにも関わらず〝埃っぽい街〟が災いし、部屋に差し込む初秋の陽光はあまりに弱々しかった。 暗緑色のカーペットにクリーム色の壁。弱々しい陽光の差し込む質素な部屋の中、カリカリと羊皮紙にペンを走らせる音だけが静謐な空間に反響する。「それで、君はまた暴力を振るったのか?」 ──これで五度目だ。なんて、付け添えたのは初老の男だった。 彼は、大きなため息を吐きながらペンを置き、正面に立つ茜髪の少女をギロリと睨み据える。「もう! だから、どう考えても正当防衛だって言っているじゃない!」 茜髪の少女、キルシュ・ヴィーゼはジトリと若苗色の瞳をジトリと細めて、初老の男を睨み返した。 まるで、豪雨に打たれたように、彼女はずぶ濡れだった。 艶やかな茜の髪は水に濡れてぺったこ。レースをふんだんにあしらったクリーム色の襟付きブラウスに膝丈の焦茶色のスカート、革製のコルセットにブーツ……と、パトリオーヌ女学院の制服は頭の上から足の先までびっしょりと濡れて、彼女の華奢な身体にピタリと張り付いていた。 唇をへの字に曲げて、眉を釣り上げたその面持ちは、明らかな怒りに満ちていた。 その顔には「私は悪くない!」と書いてある。「だからね、私は何もしていないわ! 悪くないの!」 この部屋に来て、数度目の台詞をキルシュは甲高く叫ぶと、初老の男──この女学院の最高責任者、学院長はこめかみを揉んで深いため息を吐いた。 事の始まりは、朝の登校時に遡る。 ……いつも通りの登校中。寮から校舎に入ろうと外階段を
帝都から、南部レルヒェ地方までの距離はなかなか遠いもので、汽車でおおよそ半日の旅となる。そこから更に数十分馬車に乗り継ぎ、ヴィーゼ伯爵家に。 現在は昼過ぎ。帰る頃にはもう暗くなっているだろう。なかなかの長旅だ。 ファルカ駅から汽車に乗り込んだキルシュは車窓から移り変わる景色をぼんやりとと眺めていた。 日中の列車となれば当然乗客が多い。四人掛けの対面座席のシートは全て埋まっていた。 都会の人間はそんなに他人をジロジロと見ないだろう。 そうと分かるが、乗客も多いからこそキルシュは能有りの紋様を隠す為に上品なレースのあしらわれた薄手の手套をはめた。 謹慎処分中の宿題も学院から出されたが、今はまだ手を付ける気になれやしない。 ぼんやりと窓の外を眺めて、このまま時間なんて止まってしまえば良いのに……なんて、非現実的な空想ばかり浮かべていた。 けれど、いつまでも続く錆色の街を眺めていても気が滅入るばかりだ。 帝都中心地に聳え立つ、大聖堂の左右対称の円錐屋根が小さくなり始めた頃、キルシュはようやく外の景色を見るのを止めた。 ほぅ。と、一つ息を吐き出して、気持ちを切り替える。そうして、キルシュは鞄から一冊の本を取り出した。 それは、ツァール帝国建国時程に書かれた神話や民話などを寄せ集めた古書で、古本市で購入した大のお気に入りの一冊だった。 しかし、この書物は旧語で綴られているので、とてつもなく読みにくい。それでも、全く読めない訳でもなかった。 否……キルシュだからこそ読めるのだ。 彼女は確かにパトリオーヌ女学院の成績最下位、劣等生だ。 だが、それは重要科目の理数学においての事。 古典文学・語学・史学といった大して成績に加点されない、部類の学識に対しては、学院で右を出る者はいないと程にこの才だけは長けていた。 大陸にある周辺国とツァールに程近い離島国。合計五~六カ国語なら問題無く読み書きができる。キルシュとしてもほんの少しだけ誇れる特技だった。 近隣国の言語においては、
まずい。キルシュは自分の手のひらから芽吹いた蔓を見ると、たちまち焦燥した。「……」 ─────まただ、いけない。 自分を落ちつかせるよう、深く息を吸い、ゆったりと吐き出す。 すると、蔓と花は瞬く間に光の欠片となって、キラキラと空気中を漂い消失した。 これがキルシュの『能有り』としての固有の力、植物の具象だ。 芽吹き花を咲かせるだけ……と、基本は無害で美しい。 意識的に出す事は勿論できるが、こうして感情が昂ぶってしまうと、このように現れて、自身を守ろうとする。 今回はただの蔦と花で済んだが、場合によっては棘を持った巨大な茨の蔦となる事もある。 なので、確実に無害とは言い切れない事は確かだった。 その上、現在では差別を受ける程に忌まれた力なので、本来ならばみだりに使うべきでないとキルシュもよく理解していた。 この具象の力は感情に左右されるものだ。 ましてやキルシュは多情多感な十七歳。感情はどうしても表に出やすい。 キルシュ本人も、この力を上手に制御できない事を少なからず悩んでいた。どんなに頑張って制御しようにも強い感情を抱けば、どうしても現れてしまうのだ。「学院長。驚かせてごめんなさい」 一拍置いて、消え入りそうな声で詫びると、学院長は忌まわしいものでも見たとでもいったような冷ややかな視線でキルシュを見て深い息をつく。 明らかな蔑みの視線だった。学院長は皺の寄った眉間を揉んで首を振る。 「君は一カ月の謹慎処分を。家にはもう連絡は済ませてあるから一度レルヒェ地方へと帰りなさい」 静かに学院長は言う。 感情で具象を出す程、だったので少しスッキリしたのだろう。あれ程までに怒りが満ちていたのに、熱は一気に冷めた気さえもした。「分かりました」 キルシュは素直に返事して、膝を折り、びっしょり濡れたスカートの裾を摘まんで挨拶すると、学院長室を後にした。 時刻はちょうど一限を終えた頃だった。 休憩時間で談笑の漏れる教室幾つも横切り、階段を下りて校舎から出た時だった。 頭上から『いいザマだわ!』なんて嘲笑が幾つも降り落ちてくる。 視線を向ければ案の定、三階の窓からブリギッタとその取り巻きが見下ろしていた。「あら~徒花ぁ~! どぉこいくのぉ~!」「学院長の目玉食らったのかしら? もうレルヒェ地方から出てこなくてい
帝都ファルカを色にするのであれば、赤銅あるいは鈍色だろう。豊かな自然を彷彿させる緑色が極端に少なく、人造的な色が多い。 煉瓦造りの背の高い建物がゴチャゴチャとひしめき合い、都市西側には轟音と粉塵を上げて蒸気機関車が走っている事から、どこか窮屈な印象を感じてしまうものだった。 製錬や機械化学と工業技術が発展した経済的水準も高い先進国、ツァール帝国。 その中心地なのだから、この景色はさも当たり前の事には違いないだろう。 ──空気は悪く、人が多い。労働者を寄せ集めたファルカの朝早い。 早朝五時に市街中心部に高々と聳える古びた大聖堂の鐘の音が響き渡り、皆その音で一日を始める機械的な街だった。 そして今現在……ファルカの朝が始まって数時間。 とっくに空は青に色付いて、太陽も昇ったにも関わらず〝埃っぽい街〟が災いし、部屋に差し込む初秋の陽光はあまりに弱々しかった。 暗緑色のカーペットにクリーム色の壁。弱々しい陽光の差し込む質素な部屋の中、カリカリと羊皮紙にペンを走らせる音だけが静謐な空間に反響する。「それで、君はまた暴力を振るったのか?」 ──これで五度目だ。なんて、付け添えたのは初老の男だった。 彼は、大きなため息を吐きながらペンを置き、正面に立つ茜髪の少女をギロリと睨み据える。「もう! だから、どう考えても正当防衛だって言っているじゃない!」 茜髪の少女、キルシュ・ヴィーゼはジトリと若苗色の瞳をジトリと細めて、初老の男を睨み返した。 まるで、豪雨に打たれたように、彼女はずぶ濡れだった。 艶やかな茜の髪は水に濡れてぺったこ。レースをふんだんにあしらったクリーム色の襟付きブラウスに膝丈の焦茶色のスカート、革製のコルセットにブーツ……と、パトリオーヌ女学院の制服は頭の上から足の先までびっしょりと濡れて、彼女の華奢な身体にピタリと張り付いていた。 唇をへの字に曲げて、眉を釣り上げたその面持ちは、明らかな怒りに満ちていた。 その顔には「私は悪くない!」と書いてある。「だからね、私は何もしていないわ! 悪くないの!」 この部屋に来て、数度目の台詞をキルシュは甲高く叫ぶと、初老の男──この女学院の最高責任者、学院長はこめかみを揉んで深いため息を吐いた。 事の始まりは、朝の登校時に遡る。 ……いつも通りの登校中。寮から校舎に入ろうと外階段を
大聖堂に響き渡る鐘の音は、まるで終りの時を知らせるように寂しい音を響かせていた。 誰も居ない筈の場所で、いったい誰が鳴らしているかは分からない。 それはまるで、計り知れぬ悲壮に慟哭しているかのように聞こえてしまった。 眼下に望む見慣れた錆色の町並みは、まさに終末と呼んで良い程……。 横殴りの雪が降りしきる中で赤々とした炎の群れが至るところで上がり、崩れた落ちた建物から黒煙が上がっていた。 そんな終末の大聖堂──頂点へと続く途方もなく長い石造りの階段を茜髪の少女はひたすらに駆け上っていた。その合間も砲弾が撃ち込まれる鈍い音と、尋常ではない振動が襲い来る。 来た道を振り向けば、石造りの階段はバラバラと崩れ落ち、ぽっかりとした虚ろができていた。 もう引き返せない。そう思いつつも、彼女は前を向き再び階段を駆け上る。 窓の外に見える、屋根の上に佇むものは教会の雨樋〝ガーゴイル〟を彷彿させる姿の怪鳥だった。 しかしそれは、鉄錆びた色合いの機械仕掛け。極めて人工的な姿をしていた。 ……彼女自身も認めたくない事実ではあるが、これが彼女の愛した青年の成れの果てだった。 ──ケルン。 少女は身を焦がす程に恋した青年の名を呟き、溢れ落ちた涙を拭って再び階段を駆け上る。 実を結ぶ花の名を持つ癖に、何をしても結果を出せず、努力さえ実を結ばず恩さえ仇で返す。よって〝徒花〟と、不名誉にも呼ばれた日々の事。彼と過ごした半年ばかりの短くも幸せ過ぎた日々の事。そして、忘却の彼方にあった断片的な記憶の数々。 茜髪の少女、キルシュ・ヴィーゼは一つ一つを思い返した。